はじめに
「竹の会指導の実際 心の指導」と題する小冊子を著したのが、平成9年、そして、その原著版である「竹の会指導論集Ⅰ」を著したのが、平成3年のことでした。
このたび、このブログ上で、第3版の執筆をすることとなりました。
竹の会の指導論の集大成という意味で、過去の指導理論を適宜引用検証してみたいと思います。
まず、初版と第二版の「はしがき」の全文掲載します。
初版はしがき(平成3年執筆)
「竹の会指導論集」と題するこの小冊子は、この数ヶ月の間に、私が会員の皆さんに配布してきました私の指導に関する意見集を加筆訂正したものに未発表のもの一遍を加えて第一分冊としたものです。第一分冊ですから、第二、第三を予定しているわけで、これから様々なテーマについて私なりの意見を展開していきたいと思います。
とにかくも、ほとんど時間のとれないままになんとか月に一遍を書上げるのがやっとという中で、第一分冊を発行できることになり、一区切りでき、ほっとしています。
初版コメント(このコメントは平成9年版執筆のものです)
当時、私は「竹の会通信」という名称で月に一回のペースで新聞まがいのものを執筆していました。それが特に会員の父母に非常に好評で感動的に受け入れられました。よく、「お母さんが読みながら涙ぐんでいた」という話を聞きました。しかし、そのころの原稿はも通信ももう残っていません。残念です。指導論集に載ったのは通信が終わりになる数ヶ月のもののみですが、心ある方たちに好意と感動をもって読まれたことは大いなる喜びです。その後の私は特にテキスト開発に専念し超多忙な毎日に追われることになります。竹の会の体系テキストもほぼ完成し、ようやく私に指導論集改訂版執筆の意欲が起きてきました。いや、もうあと何年も竹の会を続けられないという思いが指導の証を残しておきたいという気持ちを昂揚させたのかもしれません。
第二版はしがき(平成9年執筆)
「竹の会指導論集Ⅰ」が出たのは、1991年の9月のことでした。1となっているのですから、2を出す含みがあったわけです。実際、私もそのつもりでした。しかし、現実の指導の中ではっきりとした確信をもてないことのほうが多くとても何かを書ける気持ちにはなれませんでした。悩み苦しみながらも、入試を成功させてきたのは、幸いでした。指導の実践を通して私も何が問題なのかということが次第に見えてきたと思うのです。ずいぶんといろいろな書物を読んできました。いつしか私の指導理論は新たな展開をしていたのです。子どもの心をじっと見つめ続けることに何か安心感みたいなものを覚えました。西岡棟梁(西岡さんについては本文をお読み下さい)の言葉を借りて言えば、子どもはみなヒノキです。私は生育しかけたヒノキにふりそそぐ太陽です。いや太陽のようにありたいと思っています。母親が土壌であるのなら、私は生育してくるヒノキに陽をそそぐ太陽になりたい。樹齢千年のヒノキが、千三百年もの間、法隆寺を支えてきました。しかし、ヒノキならみな千年以上のヒノキが残るのです。母親が土壌であるということの意味は深い。土壌が悪ければ中が空洞の木が育つのです。法隆寺造った飛鳥の工人は千年先を考えてヒノキを使いました。耐用年数だけとっても現代の建築は飛鳥に遠く及びません。すべてにモノ、カネが優先です。科学技術の発展はジワッジワッと私たち人類の生命を縮めているのかという憂鬱な気持ちが心を暗くします。私たち親が死んでしまった後の二十一世紀、子どもたちは樹齢千年のヒノキのように生きていけるのでしょうか。
遠く飛鳥の昔からあった自然を次から次へと破壊してゆく現代人たちが、その心において飛鳥に遠く及ばないのです。
「木だって考えています。自然の中で動けないのですから、生きのびていくためにはそれなりに土地や風向き、日当たり、まわりの状況に合わせていかなければなりません。いつもこっちから風が吹いている所の木でしたら、枝が曲がります。そうすると木もひねられます。木はそれに対してねじられないようにしようという気になります。これが木のクセです」(西岡)
それぞれに育った環境の違う子どもたちには、それぞれにクセがあります。そのクセを見抜いて指導することが大切なのです。
子どものクセは、生きのびるためにできたものです。少しでも太陽の光が多くあたるようにと必死に生き抜く中からクセができてくるのです。もし、いつでも日の光が十分に用意されていて、風も雨もない温室みたいなところで育った子どもはひ弱でクセのない子です。雨や風に抵抗する力、生き抜く力こそが子どもが生き抜くために自ら考えようとする契機となるものではないかと思うのです。
私は子どもたちが樹齢千年のヒノキのように困難に抵抗しながら強くたくましく生き抜いてほしいと思っています。千年のヒノキを育てるような気持ちで指導できればと思っています。私の指導の心です。
この本には「心の指導竹の会指導の実際」という名前をつけました。表紙には「母親必読書」とありますが、この本は私から母親たちへのメッセージなんです。子どもを独り立ちできるように一生懸命に育てているお母さんたちへの心から敬意をこめたメッセージです。
思えば「指導論集Ⅰ」から七年の歳月を経て、実質的な「指導論集2」を出すことができたことになります。私の心には私の竹の会を後何年も続けられないという思いがずっとくすぶり続けていました。いつか私が竹の会とわかれを告げたとき、指導の証としてこの「心の指導」を残しておきたい。私の指導の足跡残しておきたいと思います。みなさんに私のこの拙い文章の数々を読んでいただければ、わたしにとってこれほどうれしいことはありません。
平成9年晩秋
第二版注書き
長い間使ってきた「阿部竹彦」という名前は本名ではありません。正しくは雄彦と書き、「たけひこ」と読みます。竹の会を始めるとき、母から「竹」という字がいいといわれたので使っただけなのです。母は非常に信仰に厚い人で、どこやらで私のことを調べてもらい、「竹」という字を使えば大成功すると聞いてきたらしいのです。どうやら私は「教える」という職業が天職らしく、塾の申し子みたいなことを言われたらしいのです。私は合理的な考え方をする人間であまりそういう考えにはついていけないのですけども、とにかく母の言うとおりにしました。竹の会というのは、竹彦だからそうしたというつもりはなく、何かいい名前はないかと何日か悩んでいるうちに、朝目が覚めてひらめいたのが竹の会だったというだけのことです。


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