February 10, 2005

第1章 指導

 指導とは何か。
 この章では、指導とは何か、という命題について議論を進めていきたいと思います。第2版ではかなり主観的な記述となってしまいましたが、今回は、できる限り客観的に論を展開していくことにしたいと思います。
 
第一 教えない指導のこと
一 古代工法で大伽藍を造営できる最後の日本人といわれた西岡常一さんは、口述筆記の本を遺されています。私は、何年か前に偶然NHKの特集で西岡さんのことを知りました。その後、江崎玲於奈氏の著書を読む機会がありましたが、その著書の中で偶然、氏が西岡さんに共鳴していることを知りました。西岡さんの弟子教育法はとても興味深いものでした。ここにその要点を引用します。
 西岡さんは、「弟子には、鉋(かんな)の使い方など細かく教えない。教えると、自分より上手にならない」といってい
ます。実際、お弟子さんには、手を取って鉋の削り方を教えることなどはしないで、「私の削った鉋くずを見て削り方を盗め」といったそうです。そして、弟子の小川さんが一生懸命修業を積んで一人前になったとき、西岡さんは「小川は木の心をよくわかっている。小川はもう私以上の腕前だ」といったそうです。

 師匠が弟子に何も教えない。これはどういうことなのでしょうか。
 この点に関して、江崎博士は、次のような分析をしています。
 「一人前の宮大工としての器量は、単なる技術や知識にとどまらず、木の本質を捉える力を備えることだ、といっているのだ。この西岡さんのエピソードこそ、教えること、そして習うことの大切なポイントを暗示している。つまり、安易なお手本を示して、それを倣いなさいとやるだけではお手本以上のものが出てこないのだ。」

 注 西岡さんの弟子教育法はあまりにも私の指導法と近似しているものでした。
 注 私の経験でも教科書の問題を隅から隅まで分かりやすく教えたとしても、決して予期した成果は得られないも
    のでした。あるとき、定期テスト対策として逐一すべての問題を解説して万全の対策をとったつもりでしたが、
    結果は最悪ということがありました。教えすぎるとまるで応用がきかないということになります。
 注 ただ西岡さのいうように最初から何も教えないということは性質上無理かと思います。最初の導入のところで基
   本の仕組みというものをしっかり理解させてから、教科書の問題などは自分で解かせたほうがずっといい結果
   がでました。鉋の使い方は自分でつかむしかないというのは、最後のところは結局自分で考えてつかむしかな
   いということで、これは指導でも同じです。

 さらに、江崎氏はこう言っています。
 「西岡さんが師としてお弟子さんに伝えたかったことは、人間としての一番基本になるところは、自分自身で探求しなさいということだったのでしょう。一般的に日本の若者は「こうやれ」と言われるとよくできるが、自分から何かを発することは苦手です。それに挑戦する精神も乏しい。日本の学問は、ものを習う習得型で何か新しいことに挑戦する探究心の教育を受けていない」

 注 「人間としての」という形容句はよくわかりませんが、「自分自身で探求しなさい」というのは、その通りだと思い
ます。ただ、「一番基本になるところ」という部分は、実は、勉強で躓いている子の場合、ここのところが自分でなんとかならないから問題なわけです。たとえば、分数の通分で躓くとか、四則で躓くとかいうような場合です。
 
二  「考える」ということがそもそもできない子のほうが圧倒的に多いのです。分数の割り算で逆数にしてかけるということを理解するのが困難な子が多数派なんです。このとき、まず九九を覚えるように計算だけとにかくできるように指導します。なぜそういうことをやるのかということは置いておく。こという指導法をよくとります。しくみが分からない子は結局最後は分からなくなるのですが、とにかく少しだけ先延ばしにするという方法をとります。
 よく、(-1)×(-1)=+1 になるのはなぜか、ということが問題にされます。教科書には一応説明があるのですが、
これがわかりにくい。その理由は、約束だからということなんですが、つまり必然的にそうなるという理由はない、もちろん数学的には必然的なんですが。ある数学者は、ただ約束だからというのでは、説明にならないとなにやら具体的説例をあげて簡単に説明できると一笑していました。しかし、この数学者のあげる説明を中学生に示してもやはり無駄でしょう。約束といったほうがいい。それでとにかく先へ進めたほうがいいと思います。
 子どもは、様々です。分数の通分で躓いた子については、多くの指導経験があります。
 私の指導経験では、とにかく時間はかかっても、反復することだと思います。
 注 ある子は、小6のとき、通分が理解できなくて、ようやくできるようになったので、今度は分数どうしのかけ算を教えたら、途端に通分と混乱してしまいパニックを起こしてしまいました。そこで、再び、通分にもどりやり直しました。このやり直しを何回も繰り返しました。中1になっても、分数をやっていました。正負の数どころではありませんでした。この子は、学校の勉強には完全に取り残されていました。その子が、中2になって、ようやく正負の数を理解し、文字式を理解し、方程式を理解し、とにかく計算をほぼ完全に理解するまでになったので。この段階でようやく「考える」ということを指導し始めました。英語は単語をひたすら覚えさせるだけの2年間で文法どころではありませんでした。話せば長くなるのでこのくらいにしておきますが、中1のときオール1であった成績が中3の初めにはほぼ4になっていたとうい軌跡的結果だけは付け加えておかなければなりません。英検3級、漢検3級もとりました。
 
 私の指導理論は常に指導の実践を通して得られたものを基本としています。決して、偉い学者の方たちがただ机上の学問だけでなんの実体験もないというのとは違います。
 
 師匠が教えないことが才能を伸ばすということの意味は大きい。
 注 教えないというとき、何を教えないか、何を教えるべきか、という見極めが大切です。説明しなくて繰り返し覚えさせるというのも有効な指導法です。
 翻って考えてみると、西岡さんは、教えないというが、実はすばらしい指導をしているのではないかと思います。

三  この「教えない指導」ということに関して、実は私は竹の会開設当初から、このような手法をとっていたのです。後年、竹の会で、「過去問指導法」と命名した指導の方法のコンセプトは、自ら考えるというものでした。この方法の実際を具体的に述べてみますと、概ね次のようなものです。
 高校入試の数学を例にとりますと、まず私は、基本の概念なり定義なりを、具体的に使いこなせるように指導します。そのためについ最近までは、私の作成したテキストを使用していましたが、ここ二、三年は、より使いやすく工夫したプリントを作成し使っています。内容的には、多項式の展開、平方根の計算、平方根の概念、因数分解、二次方程式をまず完全にマスターさせます。自由自在に計算を駆使できるようになったら、今度は、二次関数、円、三平方の定理の考え方の基本を完全に理解させます。この段階で、あと残っているのは、確率ですが、これは別個に指導します。まず、樹形図を用いた方法でとにかく苦労しても原始的な場合分けでほとんどの問題が解決できるのだということをわからせます。その段階を終わると、ここで初めて高校で履修するはずの考え方のいろいろを紹介していくことにしています。この方法でほぼ完璧に入試問題を解けるようになります。
 さて、私のいう基本の知識というのは、分かってもらえたと思います。ここで、初めて過去問を使った指導がスタートします。最初は○○高校の入試問題を数年分解いていかせます。最初はほとんど解けません。生の入試問題は、計算から始まり、文章題、関数、円、立体となんでもありが1セットになっています。これは先入観をもたないで、いつも考えて解くという習慣をつけるのに最適です。ある程度考えてわからなければ、ヒントをいいます。その繰り返しです。私が解いた解法を問題用紙に細かく書き込んだものを渡すこともあります。しっかりと味わってほしいのです。この方法は、いろいろな高校の入試問題を数年分解きつくしては次というふうに進めます。12月ともなると解いた問題量はは電話帳のようになってます。穴を開けてヒモで綴じるのが竹の会流です。この電話帳は今度は入試直前まで何回も解き直すために使われます。7回、8回と解きなおします。入試直前はこの解き直ししかやりません。これが竹の会の過去問指導法といわれるものの中身です。私が書いた解説は膨大な数になります。できるようになると、私の解説を一目見ただけで理解してしまいます。自分で考えるというスタイルを身につけさせるために竹の会がとる究極の指導法です。

四 中学入試における過去問指導法はどのように展開されてきたか。
 中学入試をめざす小学生をどのように指導していくかということは、大きな問題でした。いろいろ試したこともありましたが、大手の使うテキストは結局は使えない代物でした。小学生の場合、その子どもの能力差が端的に出てきます。普通に理解力のある平均的な子どもを考えてみましても、やはり算数を習得するというのは並大抵のことではありません。
 小学生の場合、まず分数の四則混合、しかもかなり複雑なものが、自由自在にできるようになっていること、さらには逆算式の計算が普通にできるようになっていることがまず出発点(第1ステージ)です。小学6年の6月、7月頃に中学入試をしたいといってやってくる小学生の場合、たいてい分数の通分レベルから怪しい子が多いのです。そこでまずいわゆる第1ステージにもっていくことから始めます。この段階でことのほか時間がかかってしまうこともあります。だから、小5のときから指導を開始していたほうがいいのです。少なくとも、小5の時に第1ステージはクリアしておくことができますから。
 第2ステージは何か。いわゆる一当たり量の思考をマスターすることです。ここが一番難しい。結局、ここのところを乗り越えられずに失敗するという子が大半です。
 ところで一当たりというのは何かということですが、普通には、割合、速さ、比といった分野のことですが、私が特に一当たりとして重視するのは次のようなものです。
 ある量を考えるとき、実際に存在する量というのがあります。たとえばあるドラム缶にオイルが3000リットル入っているとして、この全体量を1と見た場合のことです。1とみた場合の世界と実際の世界とは全く別の世界です。後者をマトリックスと呼び、前者を現実界と呼びましょう。実際に思考する場合に、マトリックスで思考するというわけです。現実界はマトリックスに比例するように反映しています。そこでマトリックスの数値の一部にでも対応する現実界の数値がわかれば、たちどころに現実界の全貌が見えてくるしかけになっています。
 次章に具体例でそのことをわかりやすく説明してみたいと思います。ただここでは、多くの小学生がこのからくりを理解できずに、算数ひいては数学を理解できないままに終わるということです。
 竹の会では、このことを理解させることに全指導を集中しています。すべての思考の根幹となるこのからくりをなんとか理解させたいといろいろ思案をめぐらし指導しています。
 第2ステージをめでたくクリアすると、いよいよ過去問指導法の開始です。ここからは、高校入試の場合と全く同じです。様々な中学の過去問を段階的に解いていきます。たとえば、某中学の平成4年度の算数の問題を1通解きます。入試問題は、普通、計算から始まり、次第に込み入った問題へと並べられています。基本の力を試す問題、少しの応用力をみる問題、相当思考力を要する問題、さらにはとても時間内には解けそうもない問題などが、ちりばめられています。1あたり量をマスターしていれば、理解も速く、次の年度へと進む時間も短くてすむでしょう。できなかった問題は、ヒントをもらいもう一度チャレンジします。それでも解けなければ、図解して説明します。その説明はきちんとノートにまとめさせます。この繰り返しです。過去問は次第に偏差値をあげていきます。12月ともなれば、そのようにして解いた過去問が電話帳のような厚さになります。これはヒモで綴じたりして、整理します。できれば冬休みに入る前に、今まで解いてきた過去問の解きなおしを始めたほうがいいでしょう。過去の指導例では、数回の解きなおしは常識です。中には、14,5回解きなおしたという子もいました。直前には、新しい問題は解かないほうがいいと思います。ただ、志望校の最新の過去問は最終の力だめしに使いますので、それまでは決して解かないようにしなければなりません。
 以上述べたことから、「いつから」始めたらいいのかという疑問に対する答えがおのずと出てくるのがわかります。子どもの能力差というものが大きく影響します。第1ステージが中々抜けられない子、第2ステージが結局抜けられなかった子、第3ステージで時間をかけなかったために解いた過去問が極端に少ない子などはどうしても失敗します。また、小6の夏くらいにきて第1ステージから始めなければならないとなると、その後のスケジュールにどうしても無理が出ます。11月にきても第2ステージを完全にマスターしている子だと過去問の消化が速く、あっという間に高偏差値校の問題に達します。つまり、勝負は第2ステージを完全に抜けているか否かにかかっています。ここを抜けられないのなら、中学入試はそもそも無理なのです。子どもの能力の成長の進度はみな違います。むしろ遅咲きのほうが普通です。だから高校入試のころに能力開花する子も多いのです。このへんのところをしっかり見極めることが必要です。
 最後に、小学生に方程式をマスターさせることの是非について。
 まず、竹の会の指導実例で方程式を完全にマスターした子は2名しかいません。この2人はいずれも小6当時、現役の中3のトップクラスよりもできました。ほかに何人か方程式をなんとか使えるという程度の子どもはいました。しかし、ほとんどの小学生は、正負の数から文字式、そして方程式へと進み、計算をマスターして、いよいよ文章題を方程式で解くという段になって、パニックを起こします。方程式を立てるということがまるでわかっていないし、その上算数を使って解くということもすっかり忘れてしまうというおまけつきでした。ちなみに、方程式をなんとか使えるようになった子はすべて第一志望に合格しています。
 方程式で躓く子というのは、概ね先の第2ステージでまず躓いています。だから、方程式を教えるかどうかは、そこが見極めどころです。方程式を理解できるのなら、マスターしておいたほうがいいのです。最近の入試問題には、関数とグラフとか、xをつかった問題など、数学的な問題が増えてきています。その意味では柔軟に対応したほうがいいのです。
 しかし、中学入試の問題は数学よりも算数で解いた方がずっと速いし、頭のいい解き方ができるものが大半です。算数は、主として、比を使って解きます。天秤算や面積図をつかって解く問題など知能を刺激する問題がいっぱいです。私は、算数を使って解く方が絶対面白いと思います。算数は頭をよくすると思うのです。だから、まず本当の算数を是非味わってから余裕があれば方程式を立てるという方法も知っておくということでいいと思います。
 私は、高校入試でも、中学入試でも必ず自ら解いてみます。その上で無理な問題は生徒にも無理なんですから、無理やり理解させることなんかはしません。そんな問題は解けなくてもいいわけです。また同じ問題でも解き方はいろいろです。出来る限りわかりやすくて基本的な知識のみを使った解法がいい解き方です。その意味で私の解き方はいつも市販のものとは違うことが多いのですが、市販のものは使えないものが多いと思います。
 
 

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February 08, 2005

はじめに

 「竹の会指導の実際 心の指導」と題する小冊子を著したのが、平成9年、そして、その原著版である「竹の会指導論集Ⅰ」を著したのが、平成3年のことでした。
 このたび、このブログ上で、第3版の執筆をすることとなりました。
竹の会の指導論の集大成という意味で、過去の指導理論を適宜引用検証してみたいと思います。
 まず、初版と第二版の「はしがき」の全文掲載します。
 初版はしがき(平成3年執筆)
  「竹の会指導論集」と題するこの小冊子は、この数ヶ月の間に、私が会員の皆さんに配布してきました私の指導に関する意見集を加筆訂正したものに未発表のもの一遍を加えて第一分冊としたものです。第一分冊ですから、第二、第三を予定しているわけで、これから様々なテーマについて私なりの意見を展開していきたいと思います。
 とにかくも、ほとんど時間のとれないままになんとか月に一遍を書上げるのがやっとという中で、第一分冊を発行できることになり、一区切りでき、ほっとしています。
 初版コメント(このコメントは平成9年版執筆のものです)
 当時、私は「竹の会通信」という名称で月に一回のペースで新聞まがいのものを執筆していました。それが特に会員の父母に非常に好評で感動的に受け入れられました。よく、「お母さんが読みながら涙ぐんでいた」という話を聞きました。しかし、そのころの原稿はも通信ももう残っていません。残念です。指導論集に載ったのは通信が終わりになる数ヶ月のもののみですが、心ある方たちに好意と感動をもって読まれたことは大いなる喜びです。その後の私は特にテキスト開発に専念し超多忙な毎日に追われることになります。竹の会の体系テキストもほぼ完成し、ようやく私に指導論集改訂版執筆の意欲が起きてきました。いや、もうあと何年も竹の会を続けられないという思いが指導の証を残しておきたいという気持ちを昂揚させたのかもしれません。

 第二版はしがき(平成9年執筆)
 「竹の会指導論集Ⅰ」が出たのは、1991年の9月のことでした。1となっているのですから、2を出す含みがあったわけです。実際、私もそのつもりでした。しかし、現実の指導の中ではっきりとした確信をもてないことのほうが多くとても何かを書ける気持ちにはなれませんでした。悩み苦しみながらも、入試を成功させてきたのは、幸いでした。指導の実践を通して私も何が問題なのかということが次第に見えてきたと思うのです。ずいぶんといろいろな書物を読んできました。いつしか私の指導理論は新たな展開をしていたのです。子どもの心をじっと見つめ続けることに何か安心感みたいなものを覚えました。西岡棟梁(西岡さんについては本文をお読み下さい)の言葉を借りて言えば、子どもはみなヒノキです。私は生育しかけたヒノキにふりそそぐ太陽です。いや太陽のようにありたいと思っています。母親が土壌であるのなら、私は生育してくるヒノキに陽をそそぐ太陽になりたい。樹齢千年のヒノキが、千三百年もの間、法隆寺を支えてきました。しかし、ヒノキならみな千年以上のヒノキが残るのです。母親が土壌であるということの意味は深い。土壌が悪ければ中が空洞の木が育つのです。法隆寺造った飛鳥の工人は千年先を考えてヒノキを使いました。耐用年数だけとっても現代の建築は飛鳥に遠く及びません。すべてにモノ、カネが優先です。科学技術の発展はジワッジワッと私たち人類の生命を縮めているのかという憂鬱な気持ちが心を暗くします。私たち親が死んでしまった後の二十一世紀、子どもたちは樹齢千年のヒノキのように生きていけるのでしょうか。
 遠く飛鳥の昔からあった自然を次から次へと破壊してゆく現代人たちが、その心において飛鳥に遠く及ばないのです。
 「木だって考えています。自然の中で動けないのですから、生きのびていくためにはそれなりに土地や風向き、日当たり、まわりの状況に合わせていかなければなりません。いつもこっちから風が吹いている所の木でしたら、枝が曲がります。そうすると木もひねられます。木はそれに対してねじられないようにしようという気になります。これが木のクセです」(西岡)
 それぞれに育った環境の違う子どもたちには、それぞれにクセがあります。そのクセを見抜いて指導することが大切なのです。
 子どものクセは、生きのびるためにできたものです。少しでも太陽の光が多くあたるようにと必死に生き抜く中からクセができてくるのです。もし、いつでも日の光が十分に用意されていて、風も雨もない温室みたいなところで育った子どもはひ弱でクセのない子です。雨や風に抵抗する力、生き抜く力こそが子どもが生き抜くために自ら考えようとする契機となるものではないかと思うのです。
 私は子どもたちが樹齢千年のヒノキのように困難に抵抗しながら強くたくましく生き抜いてほしいと思っています。千年のヒノキを育てるような気持ちで指導できればと思っています。私の指導の心です。
 この本には「心の指導竹の会指導の実際」という名前をつけました。表紙には「母親必読書」とありますが、この本は私から母親たちへのメッセージなんです。子どもを独り立ちできるように一生懸命に育てているお母さんたちへの心から敬意をこめたメッセージです。
 思えば「指導論集Ⅰ」から七年の歳月を経て、実質的な「指導論集2」を出すことができたことになります。私の心には私の竹の会を後何年も続けられないという思いがずっとくすぶり続けていました。いつか私が竹の会とわかれを告げたとき、指導の証としてこの「心の指導」を残しておきたい。私の指導の足跡残しておきたいと思います。みなさんに私のこの拙い文章の数々を読んでいただければ、わたしにとってこれほどうれしいことはありません。
                                                      平成9年晩秋

 第二版注書き
 長い間使ってきた「阿部竹彦」という名前は本名ではありません。正しくは雄彦と書き、「たけひこ」と読みます。竹の会を始めるとき、母から「竹」という字がいいといわれたので使っただけなのです。母は非常に信仰に厚い人で、どこやらで私のことを調べてもらい、「竹」という字を使えば大成功すると聞いてきたらしいのです。どうやら私は「教える」という職業が天職らしく、塾の申し子みたいなことを言われたらしいのです。私は合理的な考え方をする人間であまりそういう考えにはついていけないのですけども、とにかく母の言うとおりにしました。竹の会というのは、竹彦だからそうしたというつもりはなく、何かいい名前はないかと何日か悩んでいるうちに、朝目が覚めてひらめいたのが竹の会だったというだけのことです。

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